更年期離職を防ぐ職場づくり 人事が知っておきたいHRTと通院支援
更年期の不調で人材を失わないために
――人事が知っておきたいホルモン補充療法(HRT)と、通院しやすい職場のつくり方
「半年ほど前から、会議中に急なほてりや発汗で集中を切らしている管理職がいる」「これまで部門を支えてくれたベテラン社員から、体調を理由に退職を打診された」。人事や健康経営の担当者が、こうした相談を受ける機会は年々増えています。
背景にあるのは、40代後半から50代にかけて多くの女性が経験する更年期の心身の変化です。そしてこの世代は、管理職・専門職として組織の中核を担っている層と重なります。個人の体調の問題として処理してしまうと、企業は静かに、しかし確実に人材と生産性を失っていきます。
経済産業省が2024年2月に公表した試算では、女性特有の健康課題による経済損失は年間約3.4兆円にのぼります。その内訳のうち最も大きいのが更年期症状で、約1.9兆円。月経随伴症状の約0.6兆円、婦人科がんの約0.6兆円、不妊治療の約0.3兆円を大きく上回ります。また労働政策研究・研修機構(JILPT)が、NHK「更年期と仕事に関する調査2021」をもとに行った推計では、更年期症状を理由に離職した40〜59歳の女性は20.2万人(低位推計)〜45.9万人(高位推計)、それに伴う年間の経済損失は1,848億円〜4,196億円と見積もられています。
この課題に対して、医療の側には確立された治療選択肢があります。その代表がホルモン補充療法(HRT)です。ところが「がんになるのではないか」といった漠然とした不安から、検討すらせずに我慢を続けている従業員が少なくありません。人事担当者が治療の輪郭を理解しておくことは、制度設計の精度と、日々の声かけの質を確実に変えます。
人事担当者のための3分基礎知識:ホルモン補充療法(HRT)とは
更年期の不調の多くは、卵巣から分泌される女性ホルモン(エストロゲン)が閉経前後に急激に減ることで起こります。HRTは、その不足分を薬で補って身体の変化をゆるやかにする治療です。
人事側が押さえておくとよいポイントは、治療の中身が人によって異なるという一点です。分岐となるのが「子宮があるかどうか」。子宮がある方の場合、エストロゲンだけを単独で使うことはせず、必ず黄体ホルモンを組み合わせて用います。これは治療の安全性を確保するうえで欠かせない原則です。
そのうえで、エストロゲンと黄体ホルモンを併用する方法は、大きく二つの型に整理されます。ホルモンを周期的に投与していく「周期投与法」と、途切れさせずに投与し続ける「持続投与法」です。閉経前、あるいは閉経して間もない時期には周期投与法が、閉経から数年を経た方には持続投与法が選ばれることが多いものの、これは絶対的な決まりではありません。本人の状態や希望に応じて、どちらを選ぶことも可能です。
どの方法を選ぶかは、あくまで本人と主治医が決めることです。企業側が理解しておくべきなのは、「治療の形は一人ひとり違い、いずれの場合も定期的な通院が前提になる」という構造のほうです。
更年期対策が経営課題になる理由――プレゼンティーイズムと離職コスト
更年期による損失は、休職や退職という目に見える形だけで生じるわけではありません。むしろ影響が大きいのは、出社していながら本来の力を発揮できない状態、いわゆるプレゼンティーイズムです。
前掲の経済産業省の試算で更年期症状の損失が約1.9兆円と積み上がるのも、欠勤や離職だけでなく、就業を続けながら生産性が落ちている状態が金額として計上されているためです。勤怠データを眺めているだけでは、この損失は表面化しません。上司の目には「最近少し精彩を欠く」としか映らず、評価だけが静かに下がっていくこともあります。
そして離職が起きた場合、失われるのは一人分の労働力にとどまりません。後任の採用と育成にかかる費用、蓄積された業務知識、顧客との関係、そして後進のロールモデルが同時に失われます。20年かけて育った中核人材の代替は、短期間では効きません。
逆に言えば、ここは投資対効果が見えやすい領域でもあります。同じ経済産業省の資料では、理解促進のための研修、受診支援、アプリ等を活用した健康管理支援プログラムなどを日本のあらゆる企業・法人が導入した場合、そのポジティブインパクトは最大約1.1兆円と試算されています。
受診をためらわせる「がんへの不安」を、正確な情報でほどく
従業員がHRTを選択肢から外してしまう理由として、しばしば挙がるのが「がんのリスクが上がるらしい」という漠然としたイメージです。実際には、がんの種類ごとにリスクが上がる可能性があるものと、むしろ下がる可能性があるものに分かれます。以下は治療を検討する際に主治医から説明される内容の概要です。
リスクが高くなる可能性が指摘されているもの:
乳がん:リスクがまったくないとは言えないものの、決して大きなものではないとされています。使用する薬剤、使用期間、個人の特性などによって異なります。
子宮体がん:子宮を有する女性の場合、黄体ホルモンを適正に併用していれば、リスクは上昇しないとされています。ただし5年以上にわたる周期投与法ではリスクが上がるという報告もあるため、長期で使用する場合には持続投与法への切り替えが推奨されます。
卵巣がん:リスクが上昇する可能性があると言われています。投与期間が長いほどリスクは増加すると報告されています。
皮膚がん(基底細胞がん、悪性黒色腫):皮膚がんについて、リスクが上昇する可能性が指摘されています。
子宮頸部腺がん:5年以上の使用でリスクが上昇する可能性があると言われています。
一方で、リスクが低下する可能性があるとされているものもあります。大腸がん、食道がん、胃がん、肺がんがこれにあたります。
そしてHRTには、リスクと並べて語られるべきベネフィットがあります。更年期の種々の症状がやわらぐことに加え、骨粗しょう症の予防といった効果も期待できます。骨折は高年齢期の就業継続を大きく左右する要因であり、長い目で見れば人材の稼働年数にも関わってきます。
ここで企業に求められるのは、「危険だからやめたほうがいい」とも「安全だから使うべきだ」とも言わないことです。治療の判断は本人と主治医のものであり、企業の役割は、正確な情報に触れられる機会と、専門医に相談できる導線を用意することに尽きます。
治療には検査が伴う――通院時間を確保できる職場かどうかが分かれ目
HRTは、薬を受け取って終わりという治療ではありません。日本産科婦人科学会のホルモン補充療法ガイドラインでは、治療開始前に受けるべき検査が定められています。血圧測定、身長・体重測定、採血、子宮頸がん検査、子宮体がん検査、経腟超音波検査、そして乳がん検査。これらが必須項目です。
さらに、これらの検査は治療を続けるあいだ、少なくとも年に1回は必ず受ける必要があります。不正出血などの症状があれば、そのつど追加の検査が加わります。そして治療を終了したあとも、5年間は婦人科がん検診と乳がん検診を受けることが推奨されています。
つまり従業員から見れば、この治療は数年単位で医療機関と付き合い続けることを意味します。婦人科の診療時間の多くは平日日中に集中しており、検査項目によっては受診が複数回に分かれることもあります。ここで「休みが取りづらい」「上司に理由を説明したくない」という壁があると、治療そのものが中断されます。制度が治療の継続可否を左右するというのは、比喩ではなく実務上の現実です。
見落とされがちな三つの論点
第一に、対象は50代の女性だけではありません。更年期の変化は閉経前から始まり、40代前半で症状を自覚する人もいます。また病気の治療などにより若い年齢で閉経に至るケースもあります。年齢で線を引いた施策は、必要としている層を取りこぼします。
第二に、管理職と男性社員の理解が不可欠です。体調の申し出は、多くの場合まず直属の上司に向かいます。そこで返される何気ない一言が、相談を諦めさせ、結果として退職の引き金になることがあります。研修の対象を女性従業員に限定してしまうと、この経路は塞げません。
第三に、検査へのアクセスです。HRTの前提となる子宮頸がん検査・子宮体がん検査・エコー・乳がん検査は、職域の一般定期健診には含まれていないことが多く、自費で別途受診する必要があります。費用と手間の両方が、受診をためらわせる要因になっています。
企業が取り組める5つの施策
専門医による研修・セミナーの実施。全従業員向けの基礎編と、部下を持つ管理職向けの対応編を分けて設計すると、現場での実効性が上がります。
婦人科検診・乳がん検診の費用補助と受診勧奨。一般健診に含まれない検査項目こそ、企業が補助する意味があります。受診を勤務時間内に位置づけると受診率は大きく変わります。
通院を前提にした勤務制度の整備。時間単位年休、フレックスタイム、テレワーク、通院目的の特別休暇など、平日日中に数時間だけ抜けられる仕組みを用意します。
相談窓口と守秘範囲の明示。「誰に相談でき、その情報がどこまで共有されるのか」が明文化されていない窓口は、実際には使われません。産業医・保健師や社外の婦人科と接続しておくと、相談は医療につながります。
産婦人科医との継続的な連携。単発の講演で終わらせず、社内報や研修資料の監修、施策設計への助言まで含めて関わってもらうことで、情報の正確さと施策の一貫性が保てます。
これらの取り組みは、健康経営優良法人の認定基準に置かれている「女性の健康保持・増進に向けた取り組み」の評価項目とも重なります(複数の評価項目から一定数を選択して満たす形式のため、他の施策と組み合わせて設計できます)。認定は採用広報や投資家向けの説明にも活用でき、社内で施策を通すための材料にもなります。
まとめ:正しい知識と通いやすさが、離職を防ぐ
ホルモン補充療法には、確かにいくつかのリスクがあります。同時に、症状の改善や骨粗しょう症の予防という多くのベネフィットもあります。大切なのは、リスクを正しく理解したうえで定期的な検査を受け、薬を適正に使い続けること。そして5年を目安に、治療を続けるかどうかを主治医と相談することです。
この「正しく理解して、定期的に通う」という当たり前のプロセスは、職場の理解と制度がなければ驚くほど簡単に途切れます。逆に、正確な情報が届き、通院しやすい環境が整っている企業では、これまで静かに退職していった人材が働き続けられるようになります。更年期対策は福利厚生の一項目ではなく、人材戦略そのものです。
自社に合った施策を設計するにあたっては、医学的な正確さを担保するために産婦人科の専門医と連携することをおすすめします。研修の内容設計から社内資料の監修まで、外部の専門家が入ることで施策の質は大きく変わります。
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執筆・監修
フィデスレディースクリニック 内田 美穂
出典
経済産業省ヘルスケア産業課「女性特有の健康課題による経済損失の試算と健康経営の必要性について」(令和6年2月):https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/downloadfiles/jyosei_keizaisonshitsu.pdf
労働政策研究・研修機構(JILPT)リサーチアイ第70回「働く女性の更年期離職」周燕飛(2021年11月5日)/NHK「更年期と仕事に関する調査2021」に基づく推計:https://www.jil.go.jp/researcheye/bn/070_211105.html
※治療前後に必要な検査については、日本産科婦人科学会「ホルモン補充療法ガイドライン」に基づいています。
※健康経営優良法人の評価項目は年度ごとに更新されます。申請にあたっては、経済産業省が公表する最新年度の認定基準をご確認ください。